慌しい足音が二つ段々と近づいてくる。ああ今日もきたか、と伊作は口元を緩ませる。 「伊作っいるかー!?三人ほど診てほしいんだけど!」 無駄にハリのある声を響かせて、バンと障子を開け放つ。 現れたのは予想通りの体育委員。ただしちゃんと二本足で立っているのは上級生の二人のみで、可哀相に金吾と三之助は それぞれ小平太の両脇に荷物のように抱えられ、四郎兵衛も滝夜叉丸の背中で目を回していた。 「まあたロクでもない活動させたでしょう、小平太。ちょっとは下級生の体力も考えてもらわなきゃ」 「いや、普段はこいつらも結構ついてくるんだぞ。今日はちょっと張り切りすぎちゃったけどな!」 言って豪快にあっはっはと笑い出す。『ちょっと』の部分が全く信用ならない同級生は、どさどさと小脇に抱えた後輩たちを 床に降ろした。どちらかというと落としたに近い。 「七松先輩!後輩をなんだと思っているんですか!あなたは自分以外のものをもっと繊細に扱ってください!」 「はっはっはそう吠えるな滝夜叉丸。こいつらも寝っぱなしじゃ治療してもらうこともできんだろう。目覚ましだ、目覚まし」 「寝ているんじゃなくて気を失っているんですっ!善法寺先輩からももっと注意してください!!」 こちらは丁寧に背から降ろした四郎兵衛とともに、だらりと意識を失っている後輩たちを伊作の方へ向けながら滝夜叉丸は目を吊り上げた。 伊作はじゃれあう子犬のような二人を見上げ、にっこりと笑いながら人差し指を口元へ運ぶ。 ああ、もう本当に平和なこと。 「うん、とりあえず二人ともちょっと静かにしてもらおうか?保健室は僕らだけのものじゃないからね」 きょとんとした小平太と滝夜叉丸に、伊作は背後の衝立を示した。申しあわせたかのようにその向こうからうう、と呻き声が。 「後ろで会計の団蔵と佐吉が寝ているんだ。あと三年の神埼左門もかな。さっきお見舞いにきたんだけど、静かだから一緒に寝ちゃって るかもしれない」 柔らかな口調だが伊作の物言いは妙に逆らい難い雰囲気を与える。特に彼のテリトリーである保健室内では。 もう彼との学園生活も六年目の小平太らは慣れたものだが、滝夜叉丸はかしこまって「すみません」と頭を下げた。一声目から 騒音公害な音量だった委員長は目をそらして口笛を吹いている。 この辺が小平太の暴君と呼ばれる所以だ、と滝夜叉丸は思った。 明かり取りの桟を割って、西日が白壁を橙に染める。 額に冷たい感触がして、金吾は瞼を開いた。 「あ、目が覚めたようだね。大丈夫?」 体育委員会の者ではない穏やかな声と天井の模様から、ああ無事生還できたのか、と安堵の溜息がでた。我ながらどんな 日常生活だろうと思う。 「枕元に水があるから飲むといいよ。ご飯は食べられそう?おばちゃんが握り飯を作ってくれたんだけど」 伊作の声にはい、とだけ返事をして金吾は身体を起こす。確かに喉がからからだ。枕元には既に意識を取り戻していた らしい三之助と四郎兵衛が握り飯をほおばっている。おはよう、と口をもごもごさせながら三之助が竹筒を手渡して くれた。 「あ、ありがとうございます」 「金吾が一番寝ぼすけだったな」 「そりゃ年下ですから、仕方ないでしょう」 「でも体格はしろとそんな変わらないだろ。ていうかしろが小さすぎ」 「わかってますよぉ、これでも気にしてるんです」 四郎兵衛が口を尖らせて四個目の握り飯を取った。三之助よりペースが早い。確かに小柄なのを気にしているようだ。 「次屋先輩と時友先輩はいつから起きてたんですか?」 握り飯を取られまいと、竹筒を片手に金吾も右手を伸ばす。ん?ついさっき、と三之助が答え、金吾はなんだ皆寝ぼすけ じゃないか、と思った。明かり取りから見える満月の高さから、大体の時間をはかる。 「三人とも元気そうだね、金吾ちょっと腕見せてくれる?あ、やっぱり腫れてしまうのは仕方ないか」 薬棚を漁っていた伊作が戻ってきた。大きな手にとられた包帯の下の身体は痣だらけだ。風呂に入るたびに兵太夫あたりに「肌が色んな色しすぎ」 とからかわれる。実際赤いの青いの、ひっかき傷のかさぶたの黒、とまるで染物の柄だ。 「大体見える怪我は手当てしておいたんだけど、他にどこか痛いところあるかい?」 伊作が三人を見回して小首をかしげる。不運委員長、などとひどい名前で呼ばれてはいるが、保健室常連の体育委員にとっては 仏様のような人だ。特に低学年である金吾たちにはとても優しかった。 「いえ、特に問題ありませ・・・。いや、なんか鳩尾のあたりが痛いです」 「あ、俺も」 腹のあたりをさすった金吾に、三之助が続いた。伊作はああ、と苦笑いをする。 「それは多分、君たちを運んでくるときの小平太の抱え方が悪かったせいだろうね」 こう、丸太抱えるみたいにしていたから圧迫されていたんだろう。とジェスチャーを交えて再現してくれる。 「ああ、道理で・・・」 「しろは無事なのか・・・」 「滝夜叉丸は四郎兵衛ひとりだから、おんぶで連れてきてくれたんだよ」 じとりと半目になる三之助の手前、四郎兵衛は身を縮こませた。 「よかったなぁ、しろは滝夜叉丸先輩が助けてくれて」 「からかわないでくださいよお、たまたまそういう運び方になっただけじゃないですか」 「まあまあ次屋先輩、二人いっぺんにおんぶは無理だから仕方ありませんよ。とりあえず生きて戻れてよかったです」 「んーまーそりゃそうだな」 「ていうかいつも先輩が迷子になって委員会の活動増やしてるのもあるじゃないですか」 「何か言ったかーしろー?」 目だけが笑っていない三之助が、はっはっはと四郎兵衛の頭をかき回す。やめてください!髪の毛抜けやすいんですから! と四郎兵衛が逃げる。往々にして言われる、隣り合った学年は仲が悪いという忍術学園の不文律は、委員会、特にこの体育 委員会においてはあまり適用されない。 金吾は元来の武士としての育ちのよさから、目上をたてることを知っていたし、二年でもは組に所属する四郎兵衛は、他の い組のような同級生らに比べておっとりとしたところがあった。むやみにつっかかったり吠えたりしないため、先輩とも 後輩ともうまくやっている。 三之助はそんな素直な後輩が可愛いのか、金吾とはよく剣の稽古をつける。そして四郎兵衛のことをしろ、と呼ぶ。 まるで犬の名のようだから嫌じゃないのかと金吾は思ったりもしたが、決まって四郎兵衛が嬉しそうに「はい」と 返事をするので、あだなで呼ばれる距離の近さへの喜びが勝るのだろうな、と考えることにした。 おばちゃんが山のように作ってくれた握り飯を片付けながらじゃれあっている三人の横、 いつのまにか緑茶をついでくれていた伊作が満足げに頷いた。 「よかった、体育委員会はうまく回っているみたいだね」 はた、とはしゃぎすぎていたことに気づいた二人がいやあ、と照れて頭をかいた。 委員長に振り回されてばかりですけどね、と金吾も笑う。 湯のみを三人の前に置きながら、ちょっと尋ねたいんだけど、と伊作が言う。 「小平太はどう?実は随分迷惑してるでしょ?」 さらりと不穏な問いかけに、いやいや、と三人は慌てて手を振った。 「確かにいけどんで暴君でとんでもない人ですけど、僕らをちゃんと一人前に扱ってくれてます。でなきゃ六年生のコース を一緒に走らせたりはしません!」 「そうですそうです!」 「俺しょっちゅう迷子になるらしいっすけど、先輩はそのことで怒ったりしませんし、一緒に飯食べて実習の話してくれたり するんですよ」 ずいずいと身体を前に寄せてくる後輩たちに、伊作はじゃあ、と続ける。 「滝夜叉丸は?」 きょと、と揃って目を丸くしたのが可愛らしい。示し合わせたかのように困った顔をして、お互いに顔を見合わせている。 「まあ基本的には自惚れ家ですけど」 「話し始めるとえらい長いんすけど」 「何かと戦輪を披露しようとするんですけど」 『あの人が体育委員会の最後の砦です』 大真面目な顔でハモった三人に、ついに伊作は噴き出して笑った。 - NEXT - - BACK - |