「ああ、あの子は忍術学園の生徒で、身寄りがないものだから長期の休みのときに私が預かることになったんだ」 今更のようにそう説明すると、石川は伏し目がちにそうか、と言うと残った湯飲みの茶を飲み干した。その口の端を三日月のように上げて。 この男はいつもそうやって笑う。 少ない説明でもさも分かったように「そうか」と呟き、何もかもを理解したように微笑むのだ。 そこそこに長い付き合いになるはずなのに、未だ石川の腹の内は掴めない。 そうして動物達をもとの飼い主へ返し終えたきり丸が飛び跳ねながら帰ってくると、石川は早速きり丸の修行を始めたのだった。 もう六年も前のことである。 どさ、と荷物を床に置くと途端に埃が宙に舞う。 とりあえずは拭き掃除からか。土井は気合ひとつ、膝をたたくと井戸へ向かった。 季節は夏。長い夏休みが始まりである。六年ぶりに一人で戻ってくる長屋である。さんざん手を焼き、頭を抱え、どうにか育て上げた教え子たちは皆無事に卒業していった。 今年は教師の数のほうが余り、土井には久方ぶりにクラス担任を持たない、ただの教師としての年となった。身も心も負担は軽くなったはずなのだが、それがかえって違和感の種となる。ここへ帰ってくる道中すら、なんのアクシデントもなかったことが不思議で不思議で、物足りない。 影を落とす部屋の中、無心に雑巾をかけながら、土井はこの六年で随分苦労性なってしまったものだ、としのび笑う。そんなくつくつと笑う声に返してくれる者はおらず、通りをゆく人たちの声がやけに遠く潮騒のようにざわめいていた。 ひととおり部屋を片付け終えた頃には、昼間あれほど照りつけていた太陽も西の山に落ちていた。 夕餉の時間だ。 当たり前だが、長いこと留守にしていた土井の部屋に食べ物などない。どれ、と首に巻いていた手拭いを外し、土井は外に出る。 見上げる茜空に、巣へと帰ってゆくカラスの親子が黒い点を作っていた。 「鯖を一尾おくれ」 米と味噌、いくらかの野菜を下げて最後に土井が訪れたのは魚売りだった。いちいち交渉するのも面倒くさく、全部定価でのお買い上げとなった。きり丸が聞いたら目を吊り上げそうだ。 (だが食い扶持が一人減ってしまったせいで、懐事情もすっかり明るくなってしまったのだから構わない) もう一度「鯖を一尾」と言おうとしたとき、その耳にひどく懐かしい低音が響いた。 「いや、二尾もらえるか?旦那」 へえい、と店主の嬉しそうな声とともに振り向く土井。夕日を背に立つ逆光の中で奔放に伸びる髪、ちっとは忍べと言いたくなるような派手な柄の服、どこで手に入れたのか知らない黒眼鏡、赤い耳飾りがその視界に映り。 「い、石川!?」 「よお土井。久しぶりだな」 思わず米を取り落として叫ぶ土井に、いつかと同じように石川は口の端を上げてみせた。 「懐かしいな。とりあえず夕飯くらい食っていけよ」 「そのつもりで魚二人分にさせたんだがな」 「そうだった」 思わぬ来訪者に土井は浮かれていた。手馴れた様子で土間をぱたぱたと動き回る後姿を見つめ、石川はごくのんびりと問いかける。 「あの子供はもういないのか?」 「きり丸のことか?ちょうどこの春卒業していったよ。せっかく城勤めの正社員忍者になれたっていうのに、休憩時間にバイト持ち込んでは上司に怒られているらしい」 「・・・そうか」 またあの「そうか」である。覚えのあるトーンに土井が振り返ると、一人先に徳利に手をつけている(石川の土産だ)男は、確かに口元に微笑を浮かべていた。 「石川、もしかしてお前私のこと心配して来てくれたのか?」 「なんだ藪から棒に」 庵を囲んで二人でとる食事。きり丸が土井の家にやってくる前、同じように彼を招いたのは何年前になるだろうか。きり丸がいる間はとんとやってこなかった。 問いかけを軽く笑って返されて、土井は自惚れたことを言ってしまったような気がして頬を赤くする。 「いや、だってお前いつもしたり顔で何でも分かっていそうだし、今日来てくれたタイミング考えると私の胸の内でも探られてるのかって気がしてさ」 「ただ笑ってそれらしいことを言っているだけさ。俺はただの泥棒だ」 ごちそうさん、と椀を床に置くと石川は土井の隣へ腰をおろす。 「だがそんな言い草をするってことは、やはりお前さん寂しがっていたのか」 「う・・・」 土井も雑炊を流し込み口元を拭う。こんなもので顔の赤さを隠せるとは思っていなかったが。 石川の瞳の中、童顔のこの男は三十路になっているはずなのにどこか子供じみた面がいつまでもぬけない。話を聞くにそれはどうやら石川の前でだけのことのようなのだが、今日も自分の家のはずなのに、狭い長屋の部屋をなおも持て余しているようにそわそわしていて。 「心の隙間もいつかは埋まる。きり丸も二度と会わないとは言わなかったろう」 「・・・ああ、暇がとれたら遊びにくると言ってくれたよ。私が子離れできていないだけさ」 無理もない、と石川は思う。結局石川も土井もなくした者同士だ。ひとりで生きてきて、生きていけるように忍を選んだ。その過程で道が交わった友人である。 なくした穴を埋めたい。 石川はそれをモノに求めた。そうして泥棒をやっている。 土井はそれをヒトに求めた。故に今、六年も大事にしてきた家族をひとり送り出し、寂しさを募らせている。 「慰めてやるか?」 ごく自然に、土井の着物の袖を引っ張り、その身体を床に押し倒した。袖にさらに力をこめ、着物の合わせ目をはだけさせようとし。 ピッ。軽い音とともに着物が裂けた。よく見るととんでもないボロである。 「おい土井、浮浪者じゃあるまいし、いつまでこんなボロい服を着ているんだ。ちょっと触っただけで破れるなんて、男性向けでも目指してるのかお前」 「何を言っているのかよく分からんが、確かに替えどきだったな。六年着通しで、なんだか逆に捨てられなくなってたんだ」 あまりに近い石川の顔にも動揺する気配すら見せず、その胸を押し戻すと土井は立ち上がった。着物を着替えにかかる。 なんだよ、何もしねえのかとぼやく石川に、新しい麻の着物に袖を通した土井が振り返っていたずらっぽく笑う。 「遠慮しておくよ。うちの長屋の壁は薄いんだ」 結局朝を待つことすらなく石川は去っていった。土井のあの慣れた断り方を見るに、断られ慣れた、気の毒な別の男の影を感じ取ったのかもしれない。 また遊びに来ると言った石川に土井は嬉しそうにああ、と返した。自分は幸せだ。ずっと同じ着物を着続けることはできないが、縁の続く人が、気をかけてくれる人がいる。 (利吉君も夏祭りの頃来てくれるといっていたな) 思い出させてくれてよかった。寂しさは随分軽減された。戸口で石川を見送ると、土井はひとり部屋に戻る。 結局自分に甘い男達を、いつか引き合わせてみたいと思いつつ。 ------- これまた昔の無配救済企画。ようやくだまが石土井に本気になり始めて、 応援の意味をこめて書きました。 夜中の思いつきとジェバンニによって作られたたなぎ初石土井です。 当然のようにだまに捧げる。 - BACK - |