ふいにざわめく風の音が止んで、皆に緊張が走った。手の中の獲物を握りなおす。
乾いた硬い感触に、口の中までも乾いていく思いがした。
あたりに満ちるピリピリとした雰囲気と真冬の凍りつく気温。

ふいに炒り豆の香ばしさが鼻をつき、そういえばこれは投げつけた後食べていいものじゃないか、と思い出す。
そう、歳の数だけ。本来は食物なのだ。あの怪物のような体力魔人の先輩に、こいつだけで挑むのはあまりに頼りない。


(あーあ、何かめんどくさいことになっちゃったな)


口には出さないものの、金吾は胸中で思いっきりため息をついた。
思いは隣の三人も同じである。
闇の向こうには鬼がいる。




今日は節分だった。
忍術学園においても節分のイベントは毎年慣行されている。全学年、普段自分が使っている長屋や教室に豆をまくが、メインは無邪気な一年生だ。担任の教師らが鬼役となって逃げ回るのを校庭となく、武器庫となく学園中追い掛け回す。そうして福を内に、鬼を外にやるのだ。
きゃいきゃいと無邪気な笑い声と炒り豆の匂いで溢れるこの日を過ぎれば立春だ。いよいよ春がやってくる。


そんなわけで今年もまた、食堂のおばちゃんは半日をかけて豆を作り、人数分の枡などあるわけもないので、麻の袋に小分けされたそれを金吾たちはひたすら投げまくってきた。
そしてそのイベントの最後を飾るのが、各委員会室の豆まきである。それまで各学年ごとに豆をまいていた生徒たちが、それぞれの委員会室に集合する。今年一年の福と平穏と潤沢な予算を願って最後の豆をばらまき、落ちている豆を歳の数だけ拾い食って小さなお祭りは終了するのだ。


字面の上では一切、何事もなく終わりそうに見えるのに。

ついさっき、金吾たちは体育委員会室の前に集合した。残り数握りほどに減った豆を小平太が覗き込み、よしよし沢山投げてきたな、じゃあ最後に一部屋、派手にまくかとそこまではよかった。
皆で声を揃え、暢気に「鬼はそと〜」と投げようとしたところで、思いついてしまったのだ。この暴君が。

「しっかしなあ、鬼もいないのに鬼はそとーじゃあんまり盛り上がらないなあ。よし!私が鬼役になってお前らを襲撃してやろう!鬼はそと、だからな!中に入られないよう、ちゃんと委員会室を守りきれよお前ら!今年一年の福がかかっているのだからな!」

素晴らしくはつらつとした発言に皆が一様にぎょっとした。

「ちょ、ちょっといきなり何を言い出すのですか七松先輩!」
「そうっすよ、あんたに本気で襲ってこられて、俺たちに勝ち目がありますか!」
「なんだよ三之助ぇ、四対一なのにだらしないぞう」
「嬉々として苦無を頭に結ばないでくださいいい!」
「なんだシロ、怖いか?こないだ文次郎がこうやってて、シルエットが鬼っぽくなっていいなあと思ってたんだよ」
「ていうか、節分の鬼役ってひたすら逃げ回るだけのはずじゃ・・・」



何で思いっきり襲い掛かろうとしてるんですか。


金吾のつぶやきに答えることもなく、じゃあ今から開始な!と一方的に開戦 宣言をして、小平太は縁側から外の闇の中へ消えた。
こうなっては致し方ない。
四人それぞれ、緊張に汗ばむ手で豆を握り締め、委員会室の前で構えをとったわけである。





(さて、どこからくるか・・・)

滝夜叉丸は指の中で小さな豆をくるくると弄ぶ。幸い入り口はひとつだ。最終的にはこの障子の前を通過しなければならないが、果たしてまっすぐ正面をつっきってくるのか、はたまた上からか下からか・・・。
そのとき、突然突風が降りしきる粉雪を舞い散らした。

ざぁっ!

夜目にかすかに捕らえた黒い影。
「丑寅の方向!くるぞ!」
鋭く叫んで豆を振りかぶる。言うまでもない。小平太はそれこそ鬼のような凄みのある笑みをにたりと浮かべると、矢のような速さで四人へ突進した。

「んわあああ!?鬼はそとおおおおおお!!」
「鬼は外!」
「悪霊退散ー!」
口々に豆を投げる。放り投げるなんて可愛いものじゃない。ほぼ下級生学年で構成されている撃退組だが、豆の描く軌道は鋭い。月明かりをぼんやりと照り返す雪の中、奔るスピードを緩め、ひょいひょいと小平太は豆をかわす。
しばしめちゃくちゃに豆を投げまくる四人と、常人離れした動体視力でそれを避ける小平太との交戦が続き。



「あ、しまった!」

いち早く豆のなくなった金吾にきらりと目を光らせると、両手を空にしたその一年生の穴へ小平太は跳んだ。
「金吾!」
滝夜叉丸がそれを庇おうと手を伸ばしかけ、

ざんっ!

「ほお、やるじゃないか金吾君」
「もともと僕の獲物はこっちですから・・・!」
伸ばした滝夜叉丸の手が空を切る。
どんな早業か、金吾の手の中には一本の竹刀があった。ぐぐぐ、と小平太の手甲を押し返す。
「金吾えらい!鬼はそと!」
すかさず横手から四郎兵衛が豆を投げつけ、「おっと危ない」と一声、小平太は再び闇の中へ飛び退いた。

「なかなかお前らやるじゃないか!私も誇らしいぞー!じゃあそろそろ本気でいくとするか!」
姿だけ見えず、あたりに反響する嬉々とした声に、三之助がげんなりとため息をつく。残り一握りとなっていた豆を二、三度お手玉していたのだが、おもむろにそれを雪の中に放り投げた。



「つーかもう、豆で追い返すレベルじゃなくなってますよね」
言いながら両手に苦無を握り締めた。滝夜叉丸もその通りだ、とばかりに豆を手放す。懐から手に馴染んだ戦輪を取り出す。やはりこっちでなければ。
もはやこれは季節の行事ではない。戦いだ。
四郎兵衛も先の一投で豆はカラになっていた。その手にはしっかりと手裏剣がある。
各々武器を構えて腰を落とす姿は、幼いものの確かに様になっていて、いつのまにか闘る気満々になっている後輩たちに、小平太は躍るようなわくわくを止められない。
どうやってあいつらを負かしてくれよう。

もはや五人が五人とも、節分のせの字すら頭に残っていなかった。
結局体力バカの体育委員会なのだ。
急にけたたましい鳴き声とともに、ばさばさと黒い影が満月を横切った。思わず四人の視線がそちらに取られる。

「上!?」
「いや、あれは・・・こうもり!?」
「七松先輩の虫獣遁用のこうもりだ!正面!」
 柔らかい雪を蹴って小平太が飛び出す。一直線に滝夜叉丸に向かい。
「おおら!大江山の鬼がきたぞ!姫御をさらいにきたぞー!」
「だぁれが姫御ですかあああ!」
一閃、滝夜叉丸の戦輪を小平太が苦無ではじき返す。暗闇に一瞬火花が散った。
「はは・・・酒呑童子とか・・・」
かばうように、滝夜叉丸の前に三之助が出た。二度、三度。苦無の交わる澄んだ音が響く。その背後を狙って金吾が竹刀を下ろした。再び雪の中へ退く小平太を追って、四郎兵衛が無言で床を蹴った。
「あ、ばかシロ深追いするな!」
実は顔に似合わず四郎兵衛は特攻屋である。あの小平太を相手に追撃を試みた度胸は買うが。

ごん。
きゅう。

「あ、やられたな・・・」
「今やられたな・・・」
「そうですね・・・」
どこか乾いた三人の声が白い息とともに空中に溶けた。




「さて、滝夜叉丸、あんた部屋に入れ」
白い息を吐き、淡々と言い放ったのは三之助だった。

「貴様、先輩をつけろ敬語を忘れるな」
「なんだか勝敗を決めるのがあんたを取られるかどうかになってるみたいなんで、とりあえず中から戦輪で援護してください。金吾、お前左な」
「了解です」
「まてまてまて、勝手に二人で話を進めるんじゃない。どうしてこの私がお前ら下級生の後ろでおさまっていなければ」

「来た!とりあえずうぜえ!」
後ろ手にどん、と部屋の中に突きこまれ、滝夜叉丸は思わず尻餅をつく。見開いた目の前で小平太と三之助が二度目の切り結びをしている。
「ほお、三之助君かっこいいねえ」
「先輩ほどじゃありませんよ・・・っと!」
「滝夜叉丸先輩は渡しませんよお!」
隙を見て金吾が飛び掛る。なんだか台詞だけ聞いてると、本当に自分が姫にでもなってような気がして、知らず滝夜叉丸の頬が赤くなる。のど元に言い知れない恥ずかしさとも嬉しさともつかないものがせりあがって、



「この私を無視して楽しく斬り結んでるんじゃない!くらえ戦輪百花繚乱!」


「ぎゃあああ俺たちまで標的にしてんなバカ夜叉丸!」
「あっはっは赤くなって可愛いなあ」
「わああああ!?」
至近距離からめちゃくちゃに戦輪を投げつけられ、三人が泡を食って逃げ回る。
ぜはーぜはーと息を整えたときには、小平太は外塀の上にまで退いていた。
「あー、またあんなところまで逃げられちゃった。先輩照れ隠しはもうちょっと穏やかに」
「誰が照れ隠しか金吾ぉ!」
「顔赤いっすね」
「うっさいわ!」
再び距離をとられたことで安心したのがまずかった。
掛け合いをしている三人の足元に、ふいにばちばちっと音がする。都合よく三人の真ん中へころりと転がってきた丸い丸いそれは。

「け、煙玉!?」



ず ぼん。
一瞬で視界が灰色に包まれる。やられた!と叫ぶ余裕すらない。煙がのどに入ってきて。
げほげほげほとむせこむ三人、そこに一陣の風が吹き去った。
「うえ、げっほげほ・・・先輩大丈夫ですか!?」
「なんとか・・・あ、晴れてきたぞ」
金吾の問いに答える声はひとつのみ。じんわりと視界が戻ってきたとき、立っていたのは三之助と金吾だけだった。



「・・・ううう、思いっきり殴られた・・・あれ、滝夜叉丸先輩は?」
雪だらけになって闇の中から戻ってきた四郎兵衛に、三之助は「もってかれた」と端的に答えた。
あー・・・。と声にならない声。
「結局、体育の今年は凶運なんですかね。鬼に中へ入られちゃって先輩とられちゃって」
しょんぼりと呟く金吾に、三之助はぼりぼりと頭をかいた。
「いや・・・よく考えたら七松先輩と一緒に滝夜叉丸も外にいた方が、委員会としちゃ平和なんじゃないか?」
「あ。」
「ああ。」
『それもそうですねえ』
呑気な声がきれいにハモった。なんともひでえ後輩たちである。
人身御供ありがとうございます。今年も七松先輩のいけどんを最前線で食い止めてください。
大江山のそびえる京の方を向いて、三人は揃って合掌した。




一方の滝夜叉丸は、小平太に担がれたまま、六年長屋の屋根の上にいた。
「ちょっと、先輩いい加減おろしてください」
「残念、私は先輩じゃなくて大江山の鬼神だ。可愛い子はとって食ってしまうよ」
「いつまでなりきってるんですか」
「とって食ってしまうよ?」
 にっこりと笑うその顔は無邪気で鬼からはほど遠い。赤い顔で滝夜叉丸は顔をそらす。
「・・・・・・あなたに、あなたに食われて一緒になれるのもいいものかもしれませんが、私としては隣に並んで一緒にいられる方が嬉しいんですがね」
「じゃあお前は茨木童子だ。酒呑童子の恋人と言われることもあるらしいし」

名案だとばかりに顔を輝かせる小平太。呆れる滝夜叉丸だが、伝説での二鬼を思い出し、にやりといたずらっぽく笑う。
「ぽんぽんと洒落たことをおっしゃいますねえ。じゃあそのうちあの二人の鬼のように、京でも目指しますか?」
「いいね、桜の咲く頃にでも」

小平太の右手が滝夜叉丸の顎に添えられた。意図を理解して滝夜叉丸が目を閉じる。
満月の下、二つの影が重なる。
じきに桜も咲きますよ。密やかな声が空に消える。
明日はもう立春なのだから。

春は近い。






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二月のオンリーで無料配布していた豆まき本。ちょこちょこ改稿済み。
前日のバレンタインデーという可愛らしいイベントは頭の隅にもありませんでした。
でもあの子らは豆まいて食ってるほうが似合ってると思いますよ。


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