「もう縄ででもくくりつけておくしかないんじゃないですか・・・?」 疲れた声音でぼそりと呟いた金吾の台詞に、四郎兵衛と滝夜叉丸はそろって目をひんむいた。 いきなりぎょろりとした目で見つめられた金吾はたじろぎ、そして自分の言った言葉に気づく。 そうだ。縄だ。 見事に三人の声が唱和した。 『もっと早くに気づけばよかった・・・』 毎度の委員会活動の名の下の強制ランニング(距離はマラソンなのにスピードが短距離走並というのはどういうことだ)。 そしてこれまた毎度毎度の中間学年こと三年生体育委員、次屋三之助の無自覚な迷子。 もはや体育委員会の名物ともいえるこの騒動。苦労をするのはもっぱら委員会の副長の座に収まっている滝夜叉丸だった。 ろくに後ろを振り返らない委員長に代わって、下級の三学年の面倒を見る。 途中でへばって目を回せばおぶって走らねばならぬ。尖った枝で腕を切れば応急処置程度の手当てもする。 そして飄々とした顔で横の獣道にそれようとするひとつ下の首根っこを捕まえていい加減にせんかと説教をする。 正直限界だ。どう頑張ってもわが身はひとつだ。せめて同じコースをたどってくれれば、どいつがダウンしても回収することはできる。 しかし三之助の方向音痴だけはどうにも滝夜叉丸の負担を大きくさせた。 やたらに広い忍術学園のマラソンコース、どこにいるのか分からない相手を探すのはまともなコースを走る三倍の苦労となる。 どこの道からそれてどっちへ行ったのか。必ず勘が当たるわけではない。あっちへ行っては引き返し、こっちへ行ってはどこまで この道で深追いしたものか悩みながら走る疲労を、迷う本人は分かっちゃいない。 滝夜叉丸の顔に一年ろ組のような縦線が目立ってきた頃、恒例の体育委員内被害者の会もとい、 金吾と四郎兵衛とのおしゃべり「三之助対策会議」の中でついにその解決策に思い至った。 終止符を打ったのは、一本の麻縄だった。 「いいかっ!絶対にこの輪の外に出ないこと!ちゃんと縄を持って私の後についてくること!分かったな!」 「ハイハイハイ分かりました。毎日同じこと言わなくったって従っているじゃないすか」 三之助は唇を尖らせるが、大人しく滝夜叉丸と同じ麻縄の中に身体を潜らせた。小平太もそれを見て満足気に じゃあ今日もいくぞ100キロマラソン!と右腕を掲げる。 青くなる金吾と四郎兵衛に滝夜叉丸は満面の笑顔で振り返った。 「安心しろ、さすがに100キロはない。50は確実だがな」 こういう言い草を聞くと、この人も力のある上級生なのだなあと思う。とは50キロでも半死状態の金吾の談だ。 全く安心できない。フルマラソンが42.195キロなのではなかったのか。 なんだかんだで滝夜叉丸も立派に体力バカの体育委員である。 ともあれ迷子防止縄を得て、滝夜叉丸は随分元気になった。心なしか顔の血色も良くなっている。 時折後ろで右や左に縄をひっぱる感触がするが、三之助はコースをそれることなく滝夜叉丸についていった。 最初の一回こそ電車ごっこじゃあるまいし、とバカにして首を振ったが、滝夜叉丸の血走った目と後輩二人の鬼気迫った 顔を見て口をつぐんだ。三人とも本気だ。逆らったらコワいことになりそうだ。 地理の勘は働かないが、身に迫る危機に対しては三之助は敏感だった。 そんなわけで体育委員といえば塹壕、マラソン、そして中間学年二人の電車ごっこ、というのが新たな名物となっていった。 さあ今日も元気に委員会するぞ!と小平太が叫ぶと滝夜叉丸が黙って麻縄に足を入れる。そして余った空間に三之助を手招きする。 他の委員会にからかわれもしたが、一週間もすれば話題に上らなくなるほど当たり前の光景になった。 会計委員会などはじめは小バカにしていたものの、迷子防止の効果の高さを知るや「うちでも導入するか、電車ごっこ」と話し合いが行われたほどだ。 学園内九委員会の中でも特に活動頻度の高い体育委員会。そしてその内容のハードさも委員会内で一、二を競うそんな コミュニティにつかの間の平和を与えた麻縄だったが、当然寿命というものはある。 迷子防止紐導入から一月、二月が経とうとした頃。 活動の途中、唐突に縄は切れた。 はらり、と腰のあたりを滑って落ちた縄の感覚に、滝夜叉丸は足を止めた。 背中に三之助がぶつかる衝撃など比べ物にもならない。「ぎゃー!麻縄が!」と頭を抱えて青くなる。 「あー、そりゃ毎日こんな使い方すりゃ切れもしますよね。まともなコースばっか走ってたわけでもないし。 仕方ない、先輩このまま走りましょう。俺だってそうそう毎回迷子になるわけじゃあ」 と言ってさっそく一歩目が進行方向と90度ほど間違った方に向いている三之助の肩をがしりと掴む。 「言ったそばからもう間違っているだろうが・・・!だからお前の地理感覚は信用できないんだ!ええい他に縄はないのか、縄は!」 叫びながら滝夜叉丸は三之助の身体の輪郭をばしばしと叩く。苦内や手裏剣はあるようだが、紐のようなものは出てこなかった。 「ほんとに役に立たないなお前は!」 激昂する滝夜叉丸に三之助はうんざりとこめかみを掻いた。 「いや、先輩だって持ってないんでしょ、縄」 返され思わず言葉に詰まる。確かにそうだ。万事うまくいきすぎて、紐の寿命のことを考えていなかった。 全く、油断なんてするもんじゃない。分かってはいても人は楽な状況に甘える生き物だと痛感する。 「と、とにかくお前みたいな風来坊を好きに走らせられるか!何か代わりのものを・・・」 言いながらあたりに目を走らせる。三之助は頭の上で腕を組んだ。必死だなあ。俺そんなに信用ないか? 思ったけど黙っておいた。多分言ったら火に油だ。 全力疾走をひたすら楽しんでいた小平太だが、いつになく背後が静かであることにようやく気づいた。 マラソンコースも折り返しを過ぎたあたりのことだ。 「なんだ、滝夜叉丸も三之助もいないのか。ここ最近は視界に入るくらいの距離にはついてきてたのになあ」 あっけらかんと呟いて、手近な木に登る。高いところから見下ろしてみるもまだ菖蒲色の装束は見えてこない。萌黄の装束も。 迷子防止紐によって無駄な探索をしないですむ分、滝夜叉丸は小平太の走る速さになんとかついてこれるようになっていた。 同じ縄の中に入っている三之助も、半ばひっぱられるようにして滝夜叉丸の速さについていくことになるので、結果的にタイム が速くなっている。褒めてやろうと思っていたところだったので小平太は少し残念だった。 「久しぶりに迷子になっちまったか?待っているのは私の性にあわないからなあ。いっそ引き返すか」 言って枝から飛び降りようとした、ちょうどそこに見慣れた紫が視界をかすめた。 「!お!きたか!!」 勢いをつけて虚空へ飛び上がる。続けて見えてきた明るい緑の装束を見て、小平太の笑い顔が固まった。 目の前にいきなり小平太が落ちてきた。滝夜叉丸の短い悲鳴で木々のカラスが逃げる。 「ひっ!?って七松先輩・・・!ようやく追いつきましたか」 「うん、それはいい」 「よくありませんよたまには振り返ってくださいよ」 汗をぬぐいながら滝夜叉丸はぼやく。小平太のやけに静かな口調には気づかない。 「わかった、でもとりあえず一つ聞きたいんだが」 「なんですか?金吾と四郎兵衛はまだずっと後ろですよ。しばらく待ってもこなかったら拾いにいかないと・・・」 「その前に」 小平太の顔に影がさした。口元が笑っているものの、ぞわりとした雰囲気に滝夜叉丸はようやく我に返る。 逆光の委員長を見上げた。表情がつかめない。小平太がついに尋ねた。 「なんで三之助と手ーつないでるの?」 瞬き二つ。そういえばそんなことをしていた、と反射で右手を離す。手を離された三之助は自分の左手をまじまじと眺め、 うわ、手形ついてる、とぼやいた。 「あの、迷子防止の麻縄が切れてしまったので、仕方なく三之助の手をひっぱってきたんですよ」 何でか自分でもわからないが、できるだけ控えめに聞こえるように滝夜叉丸は弁解した。 別にこれはやましい行為ではない、と思うのだが。何故今あんなに背筋が寒くなったのか。 「紐が切れたぁ?何か代わりのもので電車ごっこしてくればよかったんじゃないのか?」 小平太も何故か、食い下がる。委員長がどこか変なのに三之助も気づいたようだ。横から助け舟を出す。 「いえ、先輩。探したんですけどちょうどいいものがなかったんで。俺は何もなくてもそうそう迷子なんてならないって 滝夜叉丸先輩に言ったんですけどね」 『いや、それはない』 見事なユニゾンで一刀両断されて三之助は眉根を寄せた。折角フォローしたのにばっさり切られるとはひどい仕打ちだ。 「でも何かしら使えば代用品にはなっただろ?使えるものは何でも使えが忍者だぞ?」 「ですから、本当に丁度いいものがなかったんですって。せいぜいが朝顔のつるですよ。細いし短いし話になりませんでした」 「いや、そこは枠線とかあるだろう」 「これ漫画じゃないんで、枠線もありませんよ」 「じゃあスクロールバーとか」 真剣な顔でそんなことを言うものだから、滝夜叉丸は額を抑える。どんな会話だ。 「大体、使えるものを何でも使うのが忍者なら枠線に頼るより先に自分の手を使ったほうが効率的でしょう。一体何がおかしい というんですか」 滝夜叉丸のもっともな物言いに小平太もようやく押し黙る。 確かに後輩の言う通りだ、その通りだ。でもなんだかもやもやしたのだから仕方ないではないか。 「さ、もういいですか?折り返して戻らないと、多分金吾も四郎兵衛も途中で伸びてます。行きましょう」 滝夜叉丸が再び右手を三之助に差し出そうとした、その間に小平太は身体を割り込ませていた。 「先輩?」 「帰りは俺が三之助を引き受けてやる。三之助、ほら手ーだせ」 後ろ半分はぽけっと二人のやりとりを見守っていた三之助に向けて。滝夜叉丸のそれより骨ばって焼けた手に、 三之助は大人しく左手を差し出した。委員長の言葉には逆らえない。とはいえ三之助は一人、この状況の原因に気づいていた。 小平太のごねた理由はあれだ。 当事者二人は全く無自覚の、犬も食わないなんとやらだ。 三之助がちゃんと手を繋いできたことに満足して、小平太は滝夜叉丸を振り返る。 「よし!じゃあチビ共を回収しにいくぞ!滝夜叉丸もしっかりついてこいよ!」 滝夜叉丸は手持ち無沙汰になった右手をわきわきと動かして、はあ、と返事だか溜息だかわからない声をあげた。 ああもう、まどろっこしい。 「七松先輩、確実についてこさせたいなら滝夜叉丸先輩の手も繋げばいいんすよ」 こそりと耳元で言ってみたら、とたんに小平太の顔が輝いた。 「なるほど!一理あるな三之助!滝夜叉丸、お前も手ぇよこせ!全力で戻るぞ!」 「え、なんですか、え。わああ!?」 承諾の声を聞くことすらせず、片方に三之助、もう片方に滝夜叉丸の手を掴んで小平太は駆け出す。 脱臼するんじゃないかという力でひっぱられながら、三之助はこの人たちも無自覚な方向音痴だ、と思った。 主に恋愛方面での。 ------- 一作目からこんなんで大丈夫か私及びこいつら。 - BACK - |